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preface

はじめに《全文公開》

 2019 年の10 月12 日、東海から東北地方にかけて記録的な大雨や暴風、高潮などをもたらし、のちに「令和元年東日本台風」と命名された台風19 号が私の住む神奈川県の藤野も直撃しました。山梨県との県境に位置し、里山情緒が豊かなこのまちで土砂崩れが多数の箇所で発生し、家屋などが倒壊して亡くなられた方や避難を余儀なくされた方が多く出ました。この出来事を通して、地球温暖化によって引き起こされた気候危機の問題がもはや「待ったなし」の状況に立ち至っていることを私は身をもって感じました。そして、まだそのショックから冷めやらない2020 年の年明けから今度はコロナウイルスの世界的な感染拡大、いわゆる「パンデミック」という新たな危機が出現し、それは今なお私たちの生き方や暮らし方に大きな影響を与えています。多くの学者や識者が指摘するように、この2つの危機は元を辿ると同じ根を持っています。すなわち、グローバリゼーションによって人類の経済活動が拡大した結果、その経済活動を動かす燃料である石油や石炭などの化石資源を過度に利用するようになったことが二酸化炭素をはじめとする温室効果ガスの大量排出につながり、それら化石燃料を含む天然資源を求めて未開の大地や森林を次々と切り拓いていったことがコロナウイルスを含むあらゆる種類のウイルスが人間界に侵入する契機となったわけです。

 言ってみれば、気候危機もパンデミックも成長・拡大を前提とした現在の経済活動のあり方に対する自然界からの警鐘であり、それに対してどう反応するかを今、私たちは問われているのです。私たちに突き付けられた課題はあまりに大きく、広範囲にわたるもので、私たちがこれらの警鐘にどう反応するかは今この時代を生きている世代だけでなく、これから生まれてくる未来の世代にも大きな影響を及ぼすものです。したがって、それは一部の政治家や企業人、あるいは科学者たちの手に委ねておけばいいという類のものではありません。そう、この課題に関してはいわゆる「部外者」は一人もいないのです。

 とは言え、このようなとてつもなく大きな課題に対し、どう反応したらいいのかわからず、途方に暮れてしまっている人も多いことでしょう。そして、その中には個人のレベルでできることについてはすでにいろいろやっているという人もいるでしょう。たとえば、気候危機という問題に関して、二酸化炭素の排出を少しでも抑えるために車をなるべく使わず、公共交通を利用するよう心がけたり、ガソリン車をハイブリッド車に買い替えたりといったことはすでにやっていて、それはそれで大切なことだとわかってはいるが、それらの個人的な行動がこの問題の解決にどうつながるのかまったくイメージできないという人も多いのではないかと推察します。つまり、問題の規模と自分の行動との間にあまりに大きな開きがあって、ある種の認知的な乖離、すなわちミスマッチが起きているわけです。

 本書でご紹介する「トランジション・タウン」という試みは、この個人と世界という2つのレベルの間に「まち」という中間的なレベルを差し挟むことで、乖離した両者の間に橋を架けようとするものです。ここでいう「まち」とは主に行政区分を意味する「町」でも商店などが立ち並ぶ通りを意味する「街」でもなく、「地域コミュニティ」を指しています。世界というレベルは大き過ぎてあまり実感が持てませんが、まちというレベルは個人的にも実感しやすく、かつその変化が国や世界などさらに大きなレベルに影響を与え得る可能性を個人のレベルよりは想像することができます。

 本書で主に取り上げているのはその「まち」の中でも、人口1万人弱とかなり規模が小さな藤野というコミュニティで、私が仲間たちとともにこの10 年あまり取り組んできた活動についてです。しかし、そんな小さなコミュニティで起きたことが直接的あるいは間接的に他のコミュニティに決して少なくない影響を与え、テレビや新聞、雑誌、ネットメディアなどで数多く取り上げられるとともに、視察の依頼も頻繁に入るようになりました。私もよくイベントなどで私たちがやってきた活動について話をさせていただく機会がありますが、最初は斜に構えていた聴衆が話を進めるうちに身を乗り出してきて、会場全体が熱を帯びてくるのをほぼ毎回のように体験しています。そのような体験を繰り返すうちに、「自分たちのストーリーには人に力を与えるものがある」と実感するようになり、これはより多くの人たちに伝える必要があるのではないかと考えたことが本書を書くきっかけとなりました。それと同時に、自分たちが10 年ほど試行錯誤を繰り返しながらも成し遂げてきたことを、まだ道半ばだとは言え、一度記録に残しておくべきではないかと思ったことも本書を書くもう1つの動機となりました。

 そうした背景もあり、本書はなるべくストーリー形式であたかも物語を語るような感じで書くように心がけました。ただ、そうは言っても単純に「こんなことがあった、あんなことがあった」という出来事 を羅列するだけでは読む方も面白くないでしょうし、私としても本当に伝えたいことが伝わらないと思うので、どういう考えからそのようなことをしたのか、何を目指してそのようなことをしたのかといった目に見えない「想い」についても合わせて語るように努めました。読者の皆さんにはぜひその「想い」を本書から汲み取っていただければ幸いです。

 本書は序章を含めると6章からなっており、そのうち藤野での活動については「草創期」「成長期」「円熟期」の3期に分け、それぞれ第2・3・5章で取り上げました。中でもよくメディアで取り上げられる主だった活動の詳細について記した第3章に多くのページを割きました。ただ、その話をする前提として、まず私がどのようにしてトランジション・タウンという活動と出会い、なぜその活動に取り組もうと思ったかという個人的なストーリーを序章で語り、さらにトランジション・タウンとは何かという総論を第1章で語りました。読者の皆さんの興味に応じてどの章から読み始めていただいても構わないのですが、やはり第1 章でトランジション・タウンについての基礎的な知識を身につけていただいてから他の章をお読みいただいた方が理解しやすいと思います。また第4章では、まちというレベルから一旦離れて、日本という国レベルでトランジション・タウンがどれくらい拡がっているのか、さらに拡げるためにどのような取り組みが行われているのかについて語りました。こちらをお読みいただくと、それぞれのまちでの活動がさらに大きな国、そしてひいては世界というレベルに影響を与えていく様がイメージしていただけると同時に、トランジション・タウンの活動がいかに多様であるかについてもご理解いただけると思います。最後の第5章では円熟期に達した藤野での活動について語るとともに、本書の総括としてトランジション・タウンという活動が藤野に限らず世界中の多くの人たちを惹きつける最大の要因と思われるその活動指針および活動理念を私なりに整理したものを紹介しています。さらに、特に具体的な活動内容について語っている部分に関しては、なるべくその様子がイメージできるように写真を多く掲載させていただきました。

 では、本書の構成がわかったところで、さっそくその物語へと読者の皆さんをいざないたいと思います。実際に物語を聴く時のように、ぜひリラックスして、楽しみながらお読みいただければと思います。

(『僕らが変わればまちが変わり、まちが変われば世界が変わる~トランジション・タウンという試み』(榎本英剛 著/地湧の杜 発行)はじめに より)